考え過ぎかな

何日か前、友達が「東京HIPHOP'95」って特集ののってる10年前のサブカル音楽雑誌を持ってて、それには当時の雷のインタビューとかが載ってたんだけど、それに載ってたユウザロックやツイギーやリノのライブの写真は鳥肌立つくらいかっこよかった。10年前の汗の臭いまで伝わってきた。地下でドロドロした熱がたぎっていた当時のHIPHOPは、今では伝説になりつつある。なんていうか、マス対コアっていうのがその熱気の原動力にもなってたんだろうけど、それ以上に、何かが始まる!見た事もないシーンが始まる!そろそろ噴火するぜぇ(GAMA風)!っていうのが、あの当時の日本HIPHOPシーンの、得体の知れない熱気になっていたんだろうと思う。
日本語RAPが多種多様に進化し、定着し、成り立っている現在、日本HIPHOPはすでに黎明期ではなく、俺のやっているようなラップは、マイクロフォンペイジャーやライムスター以来すでに何度か完成と分解を繰り替えされたスタイルなわけです。
HIPHOPにしてもヘヴィメタルにしても、音楽の系譜に残るミュージシャンっていうのは、何らかの形でオリジネイターなわけで、そういう風に見たら僕らのHIPHOPってものすごく寒いものなのかもしれません。なんていうか、みんな目指すものが一緒に思えるんだよな。
一人一人のリアリティとかを同じようにマイクで主張し合って、その場限りの熱を生むっていう刹那的な感じもまあ嫌いではないんだけど、あとあと考えたらなんか空しいような気がする。っていう考えもひょっとしたら刹那的なもので、10年後、20年後には2005年が日本HIPHOPにとって重要な時期として捉えられてるのかもしれないけど。ただ、今の僕らのラップは何も新しくないし、まだまだリスナーの延長線上にあるのも確か。10年後の日本語ラップに何かを残しておきたいです。10年後に見て、ステージ上の汗の臭いがよみがえって来るような写真を残したい。


ここまで書いて、95年の雷のライブ写真に写っているステージに群がるヘッズではなくステージ上のユウザロックやツイギーに憧れている自分に気付きました。大それた事かもしれませんが、今やっているラップは現段階の終点ではなくて、まだまだ発火点に過ぎないような気がします。こっから何かを始めよう
おお、未来見てるじゃないか俺。ポジティブ。